東インド巡察記


東インド巡察記

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東インド巡察記(一部)

ヴァリニャーノ著 高橋裕史訳

第一章 インド管区の広大さと区域、および位地について、またイエズス会の有するコレジオとカーサについて

 計画していることを順序立てて論じるためには、この「東インド」管区の広大さ、区分および位地について、また我々が当管区に有している数々のコレジオやカーサそしてレジデンシアについて知る必要がある。
 まず広大さであるが、当管区が、イエズス会の有しているすべての管区の中で最大のものであり、ヨーロッパの全管区を一つに併せたものよりも、はるかに大きいことは、疑う余地がない。
 当管区の中心地は王都(real ciudad)ゴアで、他地方への距離を計測する際の起点ともなっている。我々はゴアに当管区で最も重要なコレジオを所有している。当管区はゴアから北へはダマンという都市にまで及んでおり、ゴアからはほぼ90レグアである。以前はオルムスという都市まで及んでいた。オルムズはゴアから北へ500レグアにある。
 ゴアから西へ航海して別の地方に向かうとエチオピアに達し、ゴアからは600レグア以上の所にある。エチオピアには総大司教と数人の我がイエズス会員がいる。ゴアから南へはコモリン岬に及び、ゴアからは150レグアである。そこから再び北へ進路を変えると、サン・トメに至る。サン・トメは、コモリン岬から110レグアにある。
 コモリン岬から別の地方をめざして同じく航路を南に取り続け、その後、東へ向きを変えると、マラッカという都市に達する。マラッカはゴアからさらに600レグア遠方にある。マラッカから東へ航海するとモルッカ諸島はマラッカからは400レグア以上、ゴアからは1000レグア以上である。
 マラッカからさらに別の地方をめざして北へ航海するとシナに達する。シナはマラッカから500レグアの所にある。シナから日本に至るが、日本はシナからさらに300レグア先である。日本を下(地区)からずっと行くと王都ミヤコ(la ciudad real del Meaco)に達する。ミヤコはポルトガル人たちが入港している長崎港から約150レグア以上先にある。
 したがって、ゴアからミヤコまでは、およそ1500レグアもある。ここから判明するのは、当管区の諸地域の間の距離が、その末端まで計測すると、いかに広大であり、また当管区内にある数々のコレジオと布教地との間の距離も、いかに遠く離れているか、ということである。この距離は日を追ってますます拡大しており、我がイエズス会員たちも、さらに奥の方へと入り込み、いくつもの布教地の仕事を引き受けている。しかし当管区の領域はかつては今よりも遥かに広大であった。なぜなら、我々はあるカーサをオルムズに、他のカーサをモザンビークに所有していたからである。モザンビークはゴアからカフラリア地方のある喜望峰へ向かって900レグアに位地している。


 当管区の位地も、管区内の各地方の間で著しい違いが見られる。なぜなら、先に記したように、当管区の一方は北、他方はずっと離れて南、残りは東に位地しているからである。しかし、ゴアを中心として当管区の各地方までの緯度を測ると、ゴアは北緯15度半で、カナリン人の王国にある。ダマンは北緯20度半、オルムズは北緯27度である。エチオピアは北緯15度、コモリン岬は北緯7度、サン・トメは北緯13度である。マラッカは赤道下2度に位地し、マルコ(諸島)はマラッカの下に位地している。シナの港マカオは北緯23度で、日本は北緯32度から38度までの間にあり、さらにずっと先まで続いている。
 当管区の分割の仕方であるが、当管区は我々の方法にしたがうと、ガンジス河よりも内側と外側(citra et ultra Gangem)の、二つの地方に分割される。ガンジス河の内側には、ダマンからサン・トメ一帯の全カーサがあり、我々はこの地方を一般にインドと呼んでいる。しかし実際にはインドはディウという都市からコモリン岬までしか広がっていない。我々がインドと称しているのは、ガンジス河よりも内側の地方一帯のことである。ガンジス河よりも外側の地方を、通常、南部地方と称しており、マラッカ、マルコ、シナそして日本がある。
 我がイエズス会員たちは、以上の全域に駐在し、各種のコレジオ、カーサ、レジデンシアに身を置いている。カーサは、これから述べてゆくようにたくさんあるのだが、本書では数を絞り、最重要なものだけを取り上げる。それらのカーサはインド管区長の直接の支配下にあるが、その多くは、さらに多種多様のレジデンシアを抱えている。
 かくて我々は、1579年現在、この東インド管区全域に五つのコレジオと七つの主要なレジデンシアを所有している。コレジオは、ゴア、サルセッテ、バサイン、コチン、マラッカのコレジオで、レジデンシアはトラバンコール海岸のコウラン、ペスカリア海岸、サン・トメのカーサ、モルッカ諸島、シナの港マカオ、日本、エチオピアのレジデンシアである。以上のすべてと、それに付属しているレジデンシアについては、それぞれ該当箇所において取り上げるつもりである。

第十四章 シナのカーサについて

 マラッカからさらに北に進路を取ると、シナの港マカオがあり、我々はそこに五つめのカーサを所有している。マカオはシナ大陸と境を接している街区で、北緯22度、マラッカからはおよそ450レグアに位地し、広東からは20レグア離れている。広東は非常に重要な都市であり、ポルトガル人たちは広東産の商品の取引に行く。ポルトガル人たちはマカオ港に一つの居留地を設けたが、この居留地は今や小さな都市となり、その結果、200を超すポルトガル人の家屋があり、キリスト教徒も相当数いる。加えて、インドやその他の地方から毎年大勢の商人が当地に参集し、シナ人と売買をしている。彼らが買い入れる商品には日本へ送られるものもあれば、インドへ送られるものもある。このシナと日本との取引は、東洋で行われているあらゆる取引の中で最大である、おまけにマカオ港は、インドで売買をして日本へ向かう際の通り道でもある。こうしてこの居留地マカオは、短い日時のうちに著しく発展したのである。
 この居留地には司教が一人と、司祭が八人から十人いる。我がカーサのイエズス会員たちを除くと、他に修道士はいない(その後、フランシスコ会所属の跣足派托鉢修道会士も、当地にカーサを設けた。彼らはルソネス諸島から渡って来たのである。そのカーサには五、六人のフランシスコ会士が住んでいる)。我々のカーサだは、八人から十人のパードレとイルマンが起居を共にし、カーサ・プロフェッサの場合と同様に、全員が喜捨で生活している。彼らは立派な修道院を所有している。その修道院は昨年竣功したもので、十の部屋、快適な執務室、非常に収容力のある礼拝堂が備わっている。しかし設計を誤ってしまったので、いずれこの修道院を移転しなければならないだろう。 また児童用の学校もある。

 我々の教会と聖母教会では、マラッカでのものと同じ聖務がおこなわれている。パードレやイルマンは、インドの他のレジデンシアよりも当マカオ市の方に、なすべきことをたくさん抱えている。その理由は、イエズス会以外に他の修道会士はいないこと、教区司祭たちがほとんど学問を修めていないこと、マカオは商取引がおびただしく活溌におこなわれていること、である。このカーサでは、十二人もの我がイエズス会員が余裕をもって生計を立てられ、またこのカーサは立誓修士用のカーサとしても約立てられよう。というのも、当市には大勢の人員は不要なのであるが、かの南部の諸地方に準管区長を置いた際には、マカオ市はこのカーサを利用して日本の窮乏を速やかに救うことができるからである。我が主がいつの日にか、福音のための扉をシナに開き給うならば、このカーサにできる限り大勢の会員を置くのはシナ布教にとって大いなる助力となろう。
 このシナという王国は、東洋の他のありとあらゆる王国や地方と著しく異なっている。そのため、シナ王国に一歩足を踏み入れると、未知なる一世界に足を踏み入れたかのようである。シナ王国はヨーロッパと類似点も数多く、これが一層この王国を多くの点で他の東洋諸国より優越させているのである。
 シナは極めて巨大な国土である。第一に、シナ全土はたった一人の王の所有に帰している。この国王は最も富裕であり、しかもこの世のあらゆる王たちや領主たちは彼に服従している。シナには十五のとても広大な地方区があり、各地方区には非常に重要な都市が一つ置かれその地方区の要衝となっている。それらの地方区はどれも、地方区自体の副王なり総督なりを擁している。また王室参事官その他、吏員も抱えている。吏員たちは、一つの地方国を的確に統治するうえで、平時や戦時には不可欠の存在である。シナは、これまでに発見されたあらゆる地方の中でも最も見事に統治され、富裕で人口も多く、肥沃な国土なのである。


(以下略)

第十五章 日本のレジデンシアについて

 日本は、その全域が様々な島嶼からなっている地域で、三つの地方もしくは主要な島々に分かれており、以上の全域を合わせると国内には六十六の小国がある。最も重要な地方は一つの巨大な島で、五十三の王国がある。その島の中央には日本全土で最も重要な都市があり、日本全体の支配者であった国王が居を定めている。この都市はミヤコと呼ばれている。この国王は、かつて、日本全土の唯一にして真の王であり、上述の諸国に自分の総督たちを置いていた。ところが今や、国王は日本全土に一つとして自らの領国を持ってはいない。その理由は、国王の総督たちが謀叛を起こし、その誰もが自分のために手に入れられるものは悉く手に入れてしまったからである。国王には、一切のものの上に立つ威厳と優越性、それも現実的なものというよりはむしろ形だけのものしか残らなかったのである。
 これら五十三の王国は、大勢の領主たちの間で分割されている。彼らの中では二人の領主が、目下のところ全領主の中にあって最も傑出している。この二人の領主は現在も絶えず戦火を交え、ミヤコに対する覇権を競っている。これらの王国全体の中で、最も抜きん出て傑出しているのは信長である。信長は今やミヤコ以外にも二十三、四の王国を支配している。もう一人は山口の王で、彼も信長と同じように十二、三の王国を支配している。彼らは互いに大敵で、各地に大勢の領主を従え絶大な権力を有し、いつも戦火を交えている。ミヤコのほかにも、さらに色々な王や領主がいるが、信長や山口の王よりも小身である。
 日本の第二の地方は九つの王国に分かれている一つの島で、これを下という。下とは、より下に位置している。これらの王国は、大勢の領主たちの間で分割されている。彼らの中で最も傑出し、支配者のような存在となっているのは豊後の王であって、五つの王国の支配者である。日本の第三の地方はもう一つの別の島で、これを四国という。四国とは四つの王国という意味である。四国も同じように複数の領主の間で分割されている。
 日本は寒く雪の多い地である。その理由は、日本が北緯30度から37、8度にかけて位置しているからである。人々は皆色が白く、洗練されており、しかも極めて礼義正しい。そのため、他のあらゆる人種に優っている。
 日本人は、生まれつき非常に優れた能力の持ち主ではあるが、いかなる種類の学問も持っていない。世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。また貴人であれ下層民の出の者であれ、各人は自分の子供、家臣その他、自分の支配下にある者に対しては主人の立場となるのである。そのため、ごく些細な理由であっても、自分の判断によって誰彼なしに殺し、その者の所有になる土地や収入を没収する。なぜなら、主人たる者は自分の領地を絶対的に支配しているからである。しかし家臣の中でも有力な者は、自分たちの間で同盟を結び主人が思い通りのことを頻繁に行なえないようにして、主人から我が身を守っているのが一般的である。
 日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。日本人は次のような非常に残酷な行為に及ぶ。すなわち、母親自らが子供を産むや否や「この子は養えない」とだけ言って、ごく当たり前のように首を踏みつけて殺してしまうのである。それに自らの脇差を使って切腹し、自害する者も大勢いる。
 その一方で日本人は、私が眼にした限りの人種の中で、とても愛想がよく親愛の情を表に現わす。しかし怒りや腹立ちを表に出すことはしないので、仲間内であれ外部の者との間であれ、ある日本人のうちに何らかの口論や怒りの言葉が見られるならば、それは驚くべきことなのである。したがって人々が殺されても、それを理由にして殺した人に不当な言葉を口にすることもないし、人々の間にはどのような類の中傷も見られないのである。
 他方、この国民は世界中のあらゆる人種の中で、最も偽善的で上辺を取り繕う国民である。なぜなら、日本人は幼い頃から本心を露わにしないことを学びそれを分別あることとし、それとは反対のことを愚行と考えているからである。そのため、軽々しく本心をさらけ出してしまう者たちは愚か者と見なされ、心が一つしかない者と呼ばれて軽蔑されてしまう。その結果、親も子も共々、彼らの間では約束も親愛の徴も信用できないので、互いに信じ合ったままでいることはない。そのためこの国民は、何か悪事を行なおうとの決心を固めるほど、さらに多くの誉め言葉を利用する。すなわち、彼らがある人物を殺そうとする場合、その人物をまさしく殺そうとする間際ですら、その人物に多大な礼義を尽くしさらに親愛の情に満ちた言葉を投げかけ、自分たちの目的を一層効果的に果たせるように振る舞うのである。実際に人々は、これ以上の方法を用いては、自分たちの間では生きていけないのである。

 以上の事情と、また日本が大勢の領主と多くの王国の間で分割されているので、日本では戦争や裏切りが絶え間なく生じ自領にあっても身の安全な領主はいない。それゆえ、日本は決して安定した状態にはなく、むしろ車輪のように絶えず動き回っている。そのため、今は権勢を誇っている領主でも明日になれば無一文となり、またこのように勢力が拮抗した状態にある者は、自分たちの収入と栄誉を増大できる好機が到来すると別の領主と結んで、本来の領主を裏切って見捨て、自分自身の両親のことすら気にかけないこともしょっちゅうなのである。両親は、子供たちが成人すると、我が身の許に引き留める方法として次のような方法しか打つ手がない。つまり、子供たちに収入と家屋を譲り、自分たちは我が身のために残してある僅かな貯えを持って隠居し、ひっそりと暮らす。これは日本の一般的な風習なのである。
 これとは別に、日本人もやはり非常に貧しい。そのため、驚くべきことに、王や領主ですらごく僅かの物で糊口を凌いでいるほどである。王や領主は、自分の領地を家臣の間で分割してきたため、たとえ出費を伴うことなく、またあらゆる面で家臣たちから奉仕を受けていても、手許にはごく僅かの収入しか残らないのである。一方、人々は誰しも、とりわけ貴人たちは互いに極めて丁重かつ高潔に供応しもてなし合うので、あのように非常に貧しいというのに、これほどまでの丁重さと立派な礼儀の遵守が可能となっていることも驚くべきことなのである。衣、職、儀式その他様々な事柄において、日本人の行動はどれも、ヨーロッパ人や他の人種とは著しく異なっている。そのため日本人は、あらゆる事柄を他の人種とは反対に行なうことを、故意に学んでいたかのようである。
 したがって、ヨーロッパから当地へやって来る者たちは全くの新参者に等しいので、食事、着座、日本人との会話の仕方、服の着方、礼儀作法その他、日本人が行なうあらゆる事柄を、子供のようになって最初から学ばねばならない。これがゆえに、インドでもヨーロッパでも、日本の諸事情が正確に判断され明確となるのは不可能なのである。その理由は次の通りである。つまり、日本ではインドやヨーロッパとは別個の世界、別個の作法、別個の習慣や規範が通用しており、その結果、ヨーロッパでは礼儀正しく名誉あるものと評価を受けている事柄の多くが、日本では著しく不名誉で侮辱的なものと見なされているからである。また当地日本では、ごく一般的で、しかもこれがなければ日本人と暮らしたり交際したりできない事柄の多くが、ヨーロッパとりわけ修道会員たちの間では、下品で破廉恥なものとされているからでもある。
 一般に、この国民は、誰もが自分の意志通りに生きることを全く当たり前としている。男も女も、幼時よりほとんど束縛されずに育てられたため、したいことをし、何らかの事柄においては両親からの支配を受けない。というのも、両親は彼ら自分の子供を鞭打ったり、厳しい言葉で叱責したりはしないからである。とりわけ貴人や領主は、自分勝手に我がままに成人してしまっている。そのため、たとえ彼らの行なおうと欲していることが善きことであれ悪しきことであれ、彼らの家臣であると友人であるとを問わず、誰一人として異を唱える者はいない。むしろ自分の主人の意向がどこにあるかを知ろうと努力する。そうして主人に助言し、主人の欲していることは善きことであると語るのである。
 その他の事柄の中で、日本人が慣習としているのは、第三者を介さない限り重要な諸案件を面と向かっては絶対に口にしないことである。そのため、両親は子供に対して、子供は両親に対して、他者を介さなければしかるべき重要事について依頼も協議もせず、また助言や訓論を与えることもないほどである。それゆえ、重大な事案や用件について、日本人と協議をして結論を出すのは難事であり、非常に時間がかかるのである。
 日本人は、ヨーロッパでは極めて重大な罪を徳として考えており、坊主も神官も、罪は徳なり、と人々に説いて教え込んでいる。親でさえも子供にこのように説き、教えているのである。とりわけ、男色の罪においては、口に出すことも目にすることもはばかれることが罷り通っている。日本人には数々の邪悪な習慣があり、法律はあまりにも不当で自然の理に反している。そのため、日本人を説き伏せて、我々の法に則った生活を行なわせるのは極めて困難である。それにもかかわらず日本人は、キリスト教徒となってから陶冶されると、この種の様々な悪習を棄ててキリスト教と神への崇拝に強く心を傾け、教会と秘跡の授与に足を運ぶ。そして、他のあらゆる人々よりも、素晴しい畏敬の念と外面の謙譲さをもって、神に関わる事柄を色々と論じる。とりわけ中層階級の人々と農民たちがそうなのである。というのも、貴人や領主は、傍目には彼らと同じような様子を呈していつのだが、中層階級の人々や農民たちは、非常に苦労して進歩し、本心からキリスト教信仰に入っているからである。
 結局のところ、日本人は、シナ人を別にすると、かの東洋全域の中で最も有能で立派に教育を施されているので、我々の聖なる法に関する諸事を正しく理解し、東洋全域の中で最良のキリスト教徒となるには、最適な国民なのである。
 以上は、この国民が我がイエズス会員の手でキリスト教徒として陶冶されている地方においての偽りのないところであり、これについては次章の中で言及してある通りである。

第十六章 日本において我々が所有しているカーサの数と行動様式について

 日本には、キリスト教徒の改宗と向上を妨げる障害、悪習、戦争があまりにも多い。しかし、我がイエズス会のために、我が主の恩寵が、今日まで日本においてなし給うた事は数々ある。それに、しかるべき時に収穫するのを目的に既に種を蒔かれたものは、断然数多い。なぜなら、現在までに日本の諸王国で、十万人近くのキリスト教徒が誕生していることから明らかである。その中には大勢の貴人や領主がいる(キリスト教徒は既に十五万人ほどである。日本は、本書執筆後に数多くの改変が行なわれ、管区同様に整った。修練院やコレジオ、そして貴人の子弟用のセミナリオが二つ開設されたが、レジデンシアはこれまでとは別の形態に縮小された。我がイエズス会員の数も増え、日本とシナの準管区長が任命され、ついに日本は、本書の記述よりもはるかに大規模なものとなった。日本に関しては、別に一書を著わしており、私はそれを参照している。したがって、本書の記述は、日本がそのように組織を整える前の状況に関するものである)。
 さて、改宗への扉が開けられて、これまでとは比べようがないほど、はるかに多くの事柄が短時日のうちに行なわれた。というのもパードレたちは、日本では既によく知られ、敬意を払われており、神の法も多くの地方で受け入れられ、善きものとして認められているからである。この結果、日本の大部分の地方では、異教徒ですら自分たちの崇めていた様々な偶像をほとんど尊重卯せず、また領主たちの中には、所有している収入の一部を割いて、それをキリストの戦士たちのために使う方が好ましいと判断している者が大勢いる。我がイエズス会員たちは、日本の色々な王国に居を定めており、また日本語のできる者も多い。そしてついに日本は、我が主からの御援助があれば主の聖なる法が日本全土に広まってゆくであろう、と期待されるほどにその陣容が整ったのである。
 既述のようにイエズス会は、日本の各地にカーサとレジデンシアを数多く所有している。イエズス会はミヤコという都市にカーサを一つ所有している。そのカーサは、ミヤコの重要性と名声の故に、第一等のカーサと称することができる。大多数のキリスト教徒と我がイエズス会員の大半は下の諸地方にいる。下には日本の布教長が常駐している。また、同地方に毎年来航するポルトガル人のナウ船のことを考慮して、イエズス会はそこに他の地方よりも大きな力を注ぎ、価値を置いている。こうして我々は下の諸地方に、多くのキリスト教界と多数のカーサを擁しているのである。第一のキリスト教界は、現在、肥前の国の三人の有力領主の領地にある。これは下地区で最大のキリスト教界である。
 一つめの地は高来といい、有馬の王が領有している。有馬の王は、かつてこの肥前王国全土の支配者にして首領でもあったが、今から十年ほど前に有力な領主たちが謀叛を起こし、彼の手許には、一周25レグアほどの領地のうち、この高来しか残らなかったのである。ここ高来にはたくさんの要塞と村落があり、全土には五万人強の住民がいるであろう。しかし、今や肥前全域の支配者のごとき竜造寺とのある年の戦争で、有馬の王は大半の要塞を失ってしまった。その結果、王の手許には、高来の要となっている有馬要塞のほか、その周辺にある四つ、五つほどの要塞が残ったにすぎなかった。それらの要塞には二万人前後の住民がいるようだが、その全員がキリスト教徒である。
 この領主有馬の王は、本年(1580年)、大勢の人々と一緒にキリスト教徒となった。彼はドン・プロタジオと称し、今となっては貧しい小身の領主ではあるが、それでも、かの有馬のカーサの中心人物であるため、非常に尊敬されている。もしも、彼の希望通りに運気の車輪が再び戻ってきたならば、彼は高来全土を容易に掌中に収めるであろう。高来のキリスト教界は日が浅く、その大半は今年になって作られたものであるが、信者たちは信仰を持ちつづけ、十分に信仰心を育まれる準備ができている。なぜなら、坊主も偶像も残ってはいないし、それに我々は今現在、高来のキリスト教界にレジデンシア用として、三つのカーサを所有しているからである。
 一つめのレジデンシアは有馬にある。有馬には、原住民用のセミナリオが一つ開設された。このセミナリオには、現在、三十人の原住民が身を置いており、またいつもパードレ二人とイルマン三人が起居を共にしている。三つめのレジデンシアは口之津にある。口之津は海港である(口之津のレジデンシアでは、既にある程度の改変が行なわれた。というのも、現在そこにはパードレがおらず、有馬から通っているからである。イルマン一人と一緒に有馬に住んでいるパードレは、加津佐の要塞と、同地にあるもう一つの、もっと小さな村落にも通っている。もしも神からの御援助を得て、高来全域が再びこの領主有馬氏の支配下に入るならば、高来は多大な至宝を生み出し得るキリスト教界となり、土地となることだろう。
 第二のキリスト教界は大村地方にある。大村の領主はドン・バルトロメウである。彼は有馬の領主ドン・プロタジオの甥で、大村の周囲およそ30レグアに多くの要塞と村落を所有している。大村地方全域には都合五万から六万人のキリスト教徒がおり、たくさんの教会もある(これらドン・バルトロメウの領土でも、やはりレジデンシアで改変が行なわれた。その結果、郡のレジデンシアが廃棄され、長崎と大村のレジデンシアでは、パードレとイルマンが増員された)。この大村のキリスト教界は非常に古く、ここからも多大な至宝が生み出されるに違いない。現在、我々はそこに、次の三つのレジデンシアを所有している。
 一つめのレジデンシアは長崎である。長崎には、およそ四百軒ほどの家屋からなる村落がある。この村落は今から八年前に当地に作られたもので、我がイエズス会員とキリスト教徒たちの努力の賜物である。このキリスト教徒たちは、各地で異教徒の領主から迫害を受けたために生来の土地を追われ、長崎の土着民となった者たちである。
 長崎は、ナウ船の重要性ゆえに日々拡大し、極めて堅固な地となっている。大村の領主は本年、長崎を、茂木というもう一つの村落共々、イエズス会に譲渡してくれた。茂木は長崎から1レグアに位置している。これら長崎と茂木を保持し、堅固なものとすることが重要である。これは、我がイエズス会員たちと、我々が日本で生計の手段としている資産の増大と安全のためであり、また大村地方全域のキリスト教徒の利益と安全のためでもある。
 二つめのレジデンシアは大村にある。大村は大村地方全域の要で、我々はそこにカーサを一つ所有している。このカーサは修練院、または日本語学習者用のセミナリオを設けるのに非常に適している。
 三つめのレジデンシアは、大村から半レグア郡という要塞の中にあり、パードレ一人とイルマン一人がそこに住んでいる。現在のところ、これらのレジデンシアに身を置いているパードレたちの担当地として大村全域が割り当てられている。しかしパードレたちは、度重なる求めには応じられないので、パードレを増員せざるを得ない。
 有馬は、諫早と称する異教徒領主の領地と分割されている。諫早はこれまでずっと、この二人の領主そして我々の聖なる法に対する、大いなる敵対者であった。そのため我々は、海路以外には、ある土地から別の土地へ赴くことができない。それゆえもし我が主が、いつの日にかこの敵対者を完全に取り除き給ふならば、有馬と大村の諸地域のキリスト教界は、一つ残らず極めて安全で堅固なものとなるであろう。

 第三のキリスト教界は、平戸地方にあり、そこには三千人を超えるキリスト教徒が二つの小さな島にいる。この二つの島は、キリスト教徒の兄弟のものである。一人はドン・アントニオ、もう一人はドン・ファンという。平戸の領主、それに領内のほぼ全領民も異教徒であるが、彼の家臣たちの中でこの二人は最も有力なので、平戸の領主はキリスト教徒たちをそれらの島々で平和裏に暮らさせるのを黙認している。パードレたちは、平戸に自分たちのレジデンシアを所有している。これは、レジデンシアが平戸の拠点であり、また同地にポルトガル人のナウ船が頻繁に来航することが慣わしだったからでもある。
 現在、平戸での改宗の成果はほとんど挙げられていない。というのも、平戸の領主は目下のところ、家臣や領民がこれ以上改宗するのを望んではいないからである。それにも拘わらず、平戸に身を置いている二人のパードレと一人のイルマンは、時間を無駄にすることなく、キリスト教徒たちを実に立派に陶冶してきている。我々が願っているのは、時が経つにつれて神の種が平戸に広まってゆくことである。平戸は勢力や人々の点で大村や有馬に優るとも劣らない。平戸は大村から18から20レグア以上も先に位置している。以上の者たちは肥前の国にいる。
 第四のキリスト教界は、肥後の国の天草地方にある。肥後の国は豊後の王の管轄下にある。天草は五人の領主が治める一つの島である。この五人の中で、最も有力な領主は天草殿で、彼も、また彼の治める全領民もキリスト教徒である。キリスト教徒は八百人から千人以上であろう(同じく天草でも改宗が行なわれた。すなわち、レジデンシアが一つ設けられ、パードレとイルマンが増員された。我々は当地に千五百人のキリスト教徒と、たくさんの教会を擁している)。
 天草には、我がイエズス会員のレジデンシアが二つあり、パードレ三人とイルマン二人が起居を共にしている。たくさんの教会もある。そのレジデンシアの一つは、河内浦にある。この河内浦こそ、殿と呼ばれていた領主が亡くなった地である。残りの一つは本渡という別の要塞にある。本渡は有馬から3、4レグアの所にあり、少なくともこう一つ別のレジデンシアが必要であろう。この五人の領主のうち、志岐殿という領主の配下には、さらに千人を超すキリスト教徒がいる。しかしこの領主は異教徒でしかも性悪である。というのも、この人物は受洗後に元の宗教に戻ったからである。もし、この五人の領主たちが改宗するに至るなら、天草島は非常に堅固で安定したキリスト教界となり、日本に見られる数々の戦争や騒乱の只中にあっても、このキリスト教界からは多大な至宝が生み出されるであろう。
 第五のキリスト教界は、博多にある。博多はおよそ八千軒の家々からなる大都市で、筑前の国にある。筑前も同じく豊後の王の管轄下にある。住民たちは異教徒であるが(というのも、我々はそこに三百人のキリスト教徒しか擁していないからである)、この都市は非常に大きく、また重要なので、我がイエズス会員はそこにレジデンシアを設けた。このレジデンシアでは、いつもパードレ二人とイルマン一人が起居を共にしている。彼らはそこからもう一つ別の地に通っているが、その地は秋月という異教徒領主のものである。その地は博多から5、6レグアにあり、六百人ほどのキリスト教徒がいるであろう。竜造寺と秋月との間の戦争が妨げとならなかったならば、秋月ではさらに多大な成果が挙げられていたことであろう。その戦争が原因で、本年、パードレたちはこのレジデンシアから退去せざるを得なかった。しかい神の御加護によりこの戦争が終結したならば、パードレたちはレジデンシアに戻って来るであろう。
 下の諸地方に属する第六の、そして最後のキリスト教界は、豊後の国にある。我々は豊後各地に五千人以上のキリスト教徒と、いくつかの教会を擁している(豊後には修練院とコレジオ、そしてレジデンシアが設けられた。私が日本を去る時には、我々は既に一万五千人を超すキリスト教徒と、十五、六の教会を抱えていた)。現在の統治者の父親である老王は、二年前にキリスト教徒になったのであるが、王子と、この豊後の国の他の領主たちは異教徒である。国王はキリスト教徒でmしかもその子息は常に我々の友人であったので、現在、多くの我がイエズス会員は、豊後の国にある二つのカーサに配置されている。
 一つは臼杵という町にある。臼杵は豊後の国王が自分の廷臣と共に居を定めている地で、日本語を学んでいるイルマンが十四、五人いる。残りの一つは府内にある。府内は豊後国最大の都市で、臼杵から6レグアの所にある。八千軒を超す家々からなり、我がイエズス会員も五、六人いる。この二つのカーサは近隣の村落にいるキリスト教徒たちの許に足を運んでいる。
 国王がキリスト教徒となってから、豊後王国の全土と他の諸国を改宗するうえで、大いなる扉が開いた。その理由は、王子とその妻、それに大勢の領主が受洗を決意していたからである。ところがその時期、それら豊後の王国全域で凄惨な戦争が起こった。加えて坊主と異教徒たちは、老王がキリスト教徒となり、また豊後王国を統治している王子もキリスト教徒になるのを望んだためそれらの王国は一つ残らず滅びるであろう、との流言を広めていた。このためいつも何人かのキリスト教徒が誕生していたというのに、人々の改宗への情熱が、今一度豊後王国の人々の中を駆け巡ることが期待できる。これら豊後のレジデンシアは、有馬と博多から25から30レグア以上も先の所にある。以上のレジデンシアは、先に記した三つの地区のうちの一つである下地方にある。
 今一つの、さらに重要な地方は、既述のように、五十三の王国を擁しているミヤコ地方であるが、我々はその各地に一万五千人を超えるキリスト教徒を抱えている(これらミヤコの諸地方では、カーサとキリスト教徒が著しく増加した。我々は既にそれらの地方に、我がイエズス会員用のレジデンシアを四つ、信長の第一の要塞に原住民用のセミナリオを一つ所有しているからである)。このキリスト教徒のうち、五十人が山口の王国にいる。彼らはおよそ二十四年にもわたってパードレもイルマンもいない状態に置かれていたからである。彼らの国王も、また山口の王国内の他の全員も異教徒であり、この国王はパードレたちが山口国内にいるのを容認していないので、必然的に、山口のキリスト教徒たちは教理教育を受けられないし、その数が増えることも不可能なのである。
 その他のキリスト教徒たちは、ミヤコ、河内、津の国、尾張などミヤコ地方の近隣諸国、そして堺市にいる。これらはどれも信長の領土である。これらの地は異教徒の地であるが、その指揮官と有力貴人の中には、家臣全員とともにキリスト教徒となっている者がいる。彼らは日本の全キリスト教徒たちの中で、このうえなく立派に陶冶された最良のキリスト教徒である。彼らは、既述のように、日本全土の首都であるミヤコからあまり遠く離れてはいない所にいるので、我がイエズス会員たちはミヤコに第一のレジデンシアを開設した。そこにはいつも、六人から八人のパードレとイルマンが起居を共にし、折を見ては教会とキリスト教徒の許へ視察しに赴いている。ミヤコでは戦争は終結しているが、現在、ミヤコ以外の諸地域では実に多くの戦争が起こっているので、我々はミヤコにもう一つ別のレジデンシアを所有することなく現在に至っている。それゆえ、カーサとレジデンシアをたくさん設けてキリスト教徒たちに教理教育を施し、改宗を拡大していく必要がある。
 以上が、当1580年までに我々が日本に所有しているレジデンシアについての既述である。

第十七章 キリスト教徒の作り方とその保持の仕方について

 日本は、イエズス会が東洋に有している、最も重要な布教事業の一つである。そこで、現在の日本の実情にしたがって、どのようにきりすと教徒を作り、保持すべきか、その方法について、若干捕り上げるのが妥当であろう。それには、総会長猊下は以下のことを理解されねばならない。
 神の恩寵と御援助に次いで我々がこれまで手にしてきた、そして今に至るまで手にしている、キリスト教徒を作り出すうえでの第一の援助は、毎年シナから来航するポルトガル人のナウ船とジャンク船である(これは本書執筆の際に、私だけが眼にした頃の下地区のことを意味している。豊後地区とミヤコ地区は、ナウ船との関わりはない。ナウ船はそれらの地方には来航しないからである。領主たちが狙っているナウ船からの様々な利益のことを取り上げる場合も、同じく、ポルトガル人のナウ船が来航する下地区に限っての問題なのである)。既述のように、日本の領主たちは非常に貧しいのであるが、ナウ船が領主たちの有する港に来航した際に、彼らが手にする利益は極めて多大なので、彼らは領内にナウ船が来航するように大いに尽力する。彼らは、ナウ船が向かう先は、キリスト教徒や教会の存する所やパードレが入港して欲しいと思っている所だと確信しているからである。
 そのため、ここから次のような事態が生じているのである。すなわち、たとえ異教徒であっても大勢の領主は、領内にパードレたちが身を落ち着け、教会を設け、キリスト教徒を生み出すように尽力する。なぜなら、こうすればナウ船やあるいはパードレから、その他の色々な利益を獲得できようと大勢の領主が判断しているからである。日本人は、自分の主人には非常に従順なので、主人がそうするように命じたり、あるいはそれが大筋において、最初にキリスト教信仰の中に入って来る扉である。このようにして、我々は日本に受け入れられ、各地でキリスト教徒を作り始めたのである。
 したがって、インドの人々について述べてあるように、日本人についても同様に言い得るのは、ナウ船を介さずに我々の法を直接受け入れ始めた者はほとんどいないということである。ただしミヤコでは、このようなナウ船の利益に対する打算は見られない。しかしインドの人々と日本の人々との間には、次に記すような相違が見られる(日本人とインド人との相違はあまりにも大きすぎて、他に比較できるものなど何一つないほどである)。すなわち、インド人はその一人一人が、改宗するに当ってはそれ相応の事柄を特に強く求める。彼らは色が褐色であり、知力にもほとんど恵まれていない。そのため、彼らは時が経ても陶冶しにくく善きキリスト教徒にはなり難い。ところが日本人は、自分が期待している利益からキリスト教徒になるのではなく(というのも、これは支配者たちだけの狙いだからである)、自分の主人の意志のために改宗するのが一般的だからである。既述のように、日本人は色が白く、育ちもよく、才能にも恵まれている。しかも異国の宗教を非常に好むので、喜んで教会や説教に足を運ぶ。それゆえ、日本人は陶冶されると誠に素晴しいキリスト教徒になるのである。ただし領主は、概ね、最も軽蔑すべき者たちである。自らの私利私欲のことえお気にかけ、あのように戦争にうつつを抜かしているからである。
 ミヤコでは、このような打算は見られない。これまでに改宗した領主たちは、我々の法に関する事柄を色々と聴き、その後、それらが善きものであると判断したことが一番の理由となって改宗したのである。家臣もまた領主からの歓心を得るために改宗する。彼らは、下地区の人たちの通らない扉を通ってキリスト教信仰の中に入って来ているので、下地区の人たちよりもさらに優れた判断力で我々の聖なる法を理解している一層素晴しいキリスト教徒なのである(これらミヤコの地方では、大勢のあらゆる階層の人々が、我々の法に関する様々な説教に耳を傾けている。それは、キリスト教徒領主の家臣であろうと異教徒領主の家臣であろうとを問わない。そして我が主に感銘を受けた人々は、他のどんな利益も問題とせずに改宗している。自分の主人が既に改宗してしまっているかどうかを確認する者が多いとはいえ、我が主が主人同様彼らの心を揺り動かすまで改宗しない家臣は多い)。
 さて、以上の地方では、洗礼に先立って、全員に説教が行なわれる。日本人は、我々の聖なる法に関する事柄を実に正確に説明し、インドの他のあらゆる地方でよりも、はるかに十分に自らの誤謬を証明する。日本人はインドの人々とは異なる資質と知力を備えていて、より理性に従う人々だからである。また教理教育を施されると、さらに優れた理解力を身につける者もいる。とはいえ、そうではない者もいる。最初からの学習内容に応じて、陶冶された後には、ある者たちよりもはるかに立派なキリスト者となる。このように、彼らは主人から命令されると、たやすく我々の聖なる法に耳を傾け、キリスト教徒になるのである。ところが主人が、そうするようにと命じると、彼らはすぐに元の宗教に戻ってしまう。
 しかしまた、陶冶されて、我々の聖なる法の諸事に染まってしまうと、元の宗教には戻らないので、土地を追われたり殺されたりする者さえ大勢いる。彼らは皆、キリスト教徒となった後には、自分たちの様々な偶像を全く顧みないのが一般的である。日本人はその点において、インドの人々をはるかに凌駕している。インドの人々は、キリスト教徒となった後ですら、さんざん苦労をして初めて、自分たちの様々な偶像への愛着を断ち切るからである。
 このようなわけで、日本のキリスト教徒は、他のあらゆるキリスト教徒の中で、比べるまでもなく最高であって、最も信仰を保持しやすい。日本は極めて重要な布教地であるが、働き手の不足やその他の原因があって、数々の困難を抱えている。そのため、我々は他のどの布教地にも増して、日本で、原住民からの援助を受けぬばならない。これは該当箇所で言及してある通りである。
 キリスト教徒と我がイエズス会員を保持し、その数を増やすことについてであるが、日本の絶え間ない政治的な変動、キリスト教界およびイエズス会の抱えている様々な問題が原因で、これは計画の途上にある。加えて、日本の諸国に堅固な基盤すら手に入れられなかったため、それらの問題を間違いなく処理したり、その原因を解明したりすることはできない。
 しかし、日本の諸国の現状を考慮すると、日本人のキリスト教徒と我がイエズス会員を的確に統轄するには、カーサを三つ設け、そこで数人のパードレとイルマンが、コレジオでの場合と同様に秩序と瞑想のある共同生活を送り、日本のすべてのレジデンシアをそれらのカーサの支配下に置くことが適切で、不可欠であると思われる(これらのカーサは既に開設した。地区長たちも当地で指名され、既述のように、準管区長も置かれた)。このようなカーサを増設して、パードレたちが職務を遂行し、キリスト教徒たちも陶冶されるようにしなければならない。それには働き手を大勢補充する必要がある。さもないと、キリスト教徒の陶冶は不可能であるし、我がイエズス会員たちも、あのような辛い職務に耐えられないだろうからである。
 これら三つのカーサのうち、一つはミヤコ地区に開設しなければならない。かの都市ミヤコは日本の首都なので、ここに確固とした基盤を置き、イエズス会の聖務、教会の聖なる礼拝や典礼をできる限り立派に行なうことがイエズス会とキリスト教徒が信望を獲得し、善き統轄のためには非常に重要だからである。二つめのカーサは豊後の国に開設しなければならない。その理由は、この豊後の国の王は既にキリスト教徒であり、しかも豊後全土に容易に広まってゆくだろうからである。三つめのカーサは下地区の肥前の国に開設されなければならない。というのも、肥前の国には、既述のようにポルトガル人のナウ船が常時来航しており、また我々は今に至るまでそこに多数のキリスト教徒を有し、より大いなる価値を置いているからである。
 働き手が不足し、しかも戦争や変動が絶え間ないため、我がイエズス会員が大勢で共同生活のできる大規模な建物やコレジオの建設は不可能であり、イエズス会の安寧に必要なあらゆる事柄を同一の場所で行なうことも不可能である。そのため、諸聖務を次のようにこれら三つのカーサに振り分けねばならない。一つめのカーサは日本語を学ぶ者たちのためのセミナリオとして、二つめは修練院として使用すること、三つめのカーサは人文諸学の研究のために使用し、日本語を学んだ者と修練を終えた者たちをそこに送り込むこと。修練を終えた者たちは概ね日本人となろう。これら下、豊後、ミヤコの三地区には、それぞれ、一人の地区長の配置が不可欠である。地区長は、自らの責任下にあるすべてのレジデンシアを毎年巡回、視察し、日本全体の上長に視察地の抱える最重要事項を報告すること。日本全体の上長も、三年ごとに日本全域を巡察するようにできる限り努めねばならない。このように大勢の者たちの間で分担させれば、職務はより適切に遂行されるだろうし、成果も多大であろう。

 しかし、掌中にある様々な布教事業を前進させようとも、原住民からの援助がなければ、また大勢の原住民を入会させなければ、イエズス会は日本で存続してゆくことができない。それゆえ、原住民用のセミナリオをできるだけたくさん設け、原住民をキリスト教の諸習慣と諸学の中で教え導き、彼らがキリスト教徒とイエズス会を援助するのに相応しい者となるようにするのが何にも増して必要なのである。その目的は、原住民の中にはイエズス会に入会する者もいれば教区司祭となる者もいるので、将来この者たちにレジデンシアを委ねられるようにすること、また別の者たちには、日本語と、色々な地域でイエズス会員が従事している諸聖務とに関してイエズス会を援助してくれるようにすることである。原住民である日本人は、多くの素質と天賦の才を備えているので、きちんとした指導を受けるならば、これら一切の聖務を行なうのに相応しい者となるであろうことは疑いの余地がない。このすべてのためと日本の善き統轄のためにも、上長のための規則、レジデンシアで暮らしているパードレのための規則、セミナリオに導入すべき方法の規則を必ず遵守するよう、全力を傾けて努力しなければならない。それらの規則は多大の熟慮と、日本での私の経験を取り入れて作成されたものだからである。
 日本で起こっている絶え間ない戦争tp変動が原因で、我がイエズス会員の生命と資産は、いつ滅亡に瀕するかもしれないという大きな危険にさらされている。これは、神の愛によるものでも、神の栄光や神の聖なる法を護持するうえで必然的であるからでもなく、単に戦争に際しての日本人の習慣によるものであるにすぎない。つまり日本人は、戦時の習慣として自分方のものであれ敵方のもであれ、眼に入るものを悉く破壊し、自分たちが崇敬している様々な偶像に対してさえ何一つ考慮を払うことはないのである。したがって、これらの地方での経験がある我々全員は、キリスト教徒と我がイエズス会員たちを保持するために、長崎港はドン・バルトロメウの領内にあり、いつもナウ船が来航しているからである。長崎港は自然の生んだ堅固な土地であるため、いかなる日本人領主といえども力ずくでナウ船を奪うことはできないのである。かの地の領主になるものは誰でも、パードレたちが長崎港を管理しナウ船から上がる利益を確保することを喜ぶであろう。なぜなら長崎はナウ船の来航する港だからである。このようなわけで、長崎は我々の資産を保護し、火急の際には、人々が頼みの綱とするには実に都合のよい、安全な地であると思われたのである。
 長崎から1レグアの茂木というもう一つの要塞は、ドン・バルトロメウの領地から有馬へ向かう出入り口なので、この双方の地を安寧なものにするために、茂木の要塞を我々の責任で引き受けることもやはり適切であると判断した。そしてドン・バルトロメウは、快くそれらの両地を我々に与えてくれたが、その理由は以下の通りである。彼の考えによれば、こうすれば自領の全域が安全となって常時ナウ船を長崎港に確保することになり、そうなると彼はナウ船から税と利益が入るので大いに敬意を払われ、立派な領主になるであろうからであった。彼は我々に若干のものを与えてくれたが、これはナウ船が長崎港に停泊する際に慣行として毎年支払われているもので、合計すると1000クルザドに達する。その一部は長崎港で暮らしている我がイエズス会員の経費と、これら長崎と茂木二つの地所を要塞化するための経費にあてられ、また一部は別のキリスト教徒領主たちの間で分配するためにあてられている。
 このようなことはヨーロッパでは奇異な事柄として、また我々の『イエズス会会憲』とも相容れない事柄として判断されるかもしれない。ところが、ここ日本に身を置き、日本の経験を積んでいると打ち続く変動に対する経験は、これら長崎と茂木の要塞を贈与者の領主ドン・バルトロメウは、イエズス会に不利となるような条件を何一つとして今に至るまで付けずに、それらの要塞をイエズス会に永久に贈与して下さったのである。日本からローマまでの距離が余りにも遠大であるので、インド管区長にこの権限を委ねるのが適切であると思われる。またイエズス会総会議の決議がなければそれらの地所を譲渡できないというようにして、それらの地所の譲渡を是非とも受諾する方が賢明であることを時の経過が認識させてくれるならば、この贈与をそのような方法で是認してもよいであろう。
 我がイエズス会員は、主としてナウ船による貿易で生計を立てている。シナでナウ船に荷積みをしているポルトガルの商人たちと我々が締結している契約によって、我がイエズス会員は、この貿易から毎年およそ6000クルザドの収益を上げている。この契約とは次のようなものである。
 マカオの商人全員が共同で日本に輸出する生糸の会社を作り、この会社では、我々に対する施しのために我々の持ち分の40ピコの生糸を日本にもたらす。1ピコはおよそ1キンタル強に相当する。彼らマカオの商人はその生糸を日本で売りさばくのであるが、生糸全部を売り切ることができなくても、この会社の所有する他のすべての生糸を売却する価格で計算した40ピコ分の売上金をいつもイエズス会に与えてくれる。この売却金によって、同社の有する他の全生糸が売りさばかれ、これによっておよそ3000クルザドの儲けがある。また彼らマカオの商人は舶載してくる生糸をすべて売りさばけないので、売れ残りの生糸の中から別枠で50ピコの生糸を適切な価格で我がイエズス会員に譲ってくれている。それらの分は、日本にいる我々のポルトガル人プロクダトールの手でナウ船の出航後に売却される。ここからさらに3000クルザドの儲けがある。
 我がイエズス会員は、主としてこのように生計を立てており、色々な教会やキリスト教徒を維持するために、日本で必要とされているあのような巨額の諸経費を捻出しているのである。我が主が、貿易以外の別の救済手段を我々に施し給うまで、日本のイエズス会もキリスト教界もこれ以外の方法では維持できないのである。
 日本はインドのバサインの地にあるいくつかの村落に、さらに800ドゥカドの定収入を所有している。それらはミサ用の葡萄酒、オリーブ油、その他の必要物資を購入したり、インドから来日する会員たちのための食糧を購入したりするのに使われる。この定収入は、そのほとんどがこうした物資に費やされ、現金で日本にもたらされるのはごく僅かにしかすぎない。ポルトガル国王陛下は、日本で生活しているパードレたちのために、別に毎年1000クルザドをマラッカの定収入の中から支払うよう命じられた。しかしこれらは、今に至るまで全く支払われたことがなかったし、これから先もそれらを手にできる望みはほとんどない。というのも、その定収入は、国王陛下がマラッカで必要ろされている諸経費を埋め合わせられるほど十分なものではないからである。たとえこれらが支払われ、また日本にさらに2000ドゥカドが施されようとも、それらは、日本が必要としている諸経費には十分ではないであろう。なぜなら、日本では毎年8000クルザド以上の収入が必要であり、しかもその経費はキリスト教徒とカーサが増えてゆくにつれて、日を追う毎に増大しているからである。
 既述のように、茂木と長崎を除き、ここ日本では世俗的なものであれ宗教的なものであれ、我々は日本人に対する裁治権を何ら有していない。というのも、世俗的な裁治権は殿と呼ばれている領主たちに帰属し、宗教的な裁治権は認識されていないからである。なぜなら、日本人は他の人種とは異なる特質の持ち主であるため、我がイエズス会員は、インドでのように、裁治権を日本でも担当することができないからである。したがって、我が主が日本教会に別の扉をお開きになって宗教的な裁治権を導入して下さらない限り、司教その他、日本人を司牧する職務を負った高位聖職者を、ここ日本に派遣しようと努めるべきではない。その理由は以下の通りである。当地日本の特質は、しかるべき裁治権を有している高位聖職者や外国人司祭を受け入れないこと、日本のキリスト教徒はあのように重い信者としての責務に堪えられるほど成熟していないこと、日本のキリスト教界は、その中で優先順をつけられるほど多くもなければ統一も取れていないこと、領主たちの絶え間ない変遷や転封が原因で司教座聖堂の創設が不可能なこと、国王も領主も自領内で高位聖職者がしかるべき裁治権を持つのを許容しないこと、これらがその理由である。
 以上が、日本のレジデンシアに関する記述である。

第二十二章 当管区の上長が有すべき資質と権限について

(略)
 この準管区長はヨーロッパの管区長たちよりも優れた素質と健康な肉体の持ち主で、得に航海のことを十分に理解していなければならない。というのも彼はほとんどの場合、船に乗りつづけて各地に行かねばならず、それは非常に時間のかかる苦労の多い危険な航海だからである。この準管区長も最低五年間はその職に留まり、その間にマルコ。マラッカ、シナ、日本の諸地方を一度は巡察しなければならない。それらの地方を短時日で巡察することは不可能だからである。しかし、モンスーンの時季にはできる限りマラッカにいるようにしなけらばならない。なぜなら、マラッカは南部地方への航海に好都合な場所だからである。この準管区長は、自分の活動について常時管区長に報告し、全面的に彼の配下にあって服従しなければならない(既述のように、この準管区長はマラッカ、マルコ、シナ、日本の準管区長を兼務してはならず、マレイ人とマルコの準管区長であらねばならない。彼はインド管区長に服するであろうから、上長を更迭する権限以外は、本章で言及してある諸権限を持つだけで十分であろう。またインド管区長は必要と判断したならば、彼にレジデンシアを新設する権限も与えるべきである)。
 同じように、日本の布教長も、この南部地方の準管区長が置かれていない間は、徳操と賢慮を十分に兼備し、その点に関しては、インド管区長自身に劣っていてはいけない。これは以下の理由によるものである。
 第一に、日本は東洋全域の中で最上の布教事業であり、より多くの成果と重要性を持っている。日本では様々の非常に重大な問題と新規の布教事業が日々生じていて、それらは着手すべきか、もしくは放棄すべきかのいずれかである。しかし日本はインド管区長の許から極めて遠く離れているので、日本の布教長自らがそれらの問題と布教事業の着手の是非に裁決を下さねばならない。それゆえ、日本の布教長は、徳操と賢慮を十分に兼備していないと非常に深刻な過ちを犯すことであろう。
 第二に、日本人の有する様々な特質と習慣は、他のあらゆる人種と著しく異なっているばかりか相反してさえいる。そのため、日本人はありとあらゆる事柄を、他の人種と反対に行なうことを故意に学んだかのように見える。それゆえ、日本を自らの眼で見て、さらにその経験を積んで日本のことに精通している者でなければ、様々な情報だけで、日本を理解して統轄することは不可能なのである。 
 第三に、我がイエズス会員たちの日本での生活方法は、ヨーロッパやインドの他のカーサやコレジオでのものとは、あらゆる事柄において、全く異なっているものである。
 第四に、日本は極めて広大な一地方である。各国にはカーサとレジデンシアがたくさんあり、実に大勢の我がイエズス会員がいる。したがって、この布教長は数多くの権限を持たなければならないので、著しく賢慮を欠いているならば、数々の過ちを犯すに違いないからである。

 第五に、日本にいる我がイエズス会員たちは、あのような僅かの現金での資産以外に生計の手段はなく、この資産によって日本のイエズス会は維持されている。この資産は貨幣であり、支出は押さえることができないので、日本の布教長が賢慮を持ち合わせていないと、彼は実に容易に、短時日のうちにすべてを崩壊させてしまいかねず、その結果、パードレもキリスト教徒も、何一つ救済策のない状態に陥る可能性がある。それゆえ、日本を統轄すべき布教長の選出にあたっては細心の注意を払わねばならない。そして何にも増してインド管区長は、日本の上長たちとレジデンシアにいるパードレたちのために、そしてセミナリオのために作成された諸規則が遵守されるように仕向けねばならない。というのも、それらの規則は数々の助言を取り入れ、また私が日本での経験を積んだ後に作成されたものだからである(もし日本がインド管区から独立した管区となるならば、日本管区長は、インド管区長よりも広範で数多くの権限を持たなければならない。たとえ独立しなくとも、日本準管区長にはインド管区長と同等の権限が不可欠である。その理由であるが、日本はローマからもインドからも余りにも遠く離れており、国内ではいつも変動が絶え間ない。それに日本では改宗の機会が生じると、その機会に応じてすべてが増大し、新たに作り出されてゆくこととなる。その結果、日本準管区長には書簡を認めたり、総会長猊下あるいはインド管区長からの回答を入手したりすることが期待できないからである。日本は、カーサやレジデンシアの面ではインド管区には引けを取ってはいないし、より重要な布教事業をいくつも抱えているので、この日本の管区長や準管区長の人物については、あらゆる点でインド管区長よりもできる限り優れていることが求められている。というのも、日本ではすべてが新たに作られている途上であり、イエズス会をはじめとして日本教界全体も、日本を統轄する人物の有する思慮の深さと優れた能力に依存しているからである。
 この日本布教長の権限は、布教長のために作成された規則の指令にしたがって、ある点では広範なもの、別の点では非常に縮小されたものでなければならない。彼の統轄すべき期間もやはり五年間ろしてよい。日本布教長は非常に有能な人物、なかんずく堅固な意志と勇気の持ち主であらねばばらない。日本で生じている様々な困難と危険は実に絶え間なく、深刻なものだからである。過酷を極める迫害も頻繁に起きているので、もしこの布教長が大いなる勇気を欠き、恐怖による心の動揺を抑えられない人物であるならば、彼は自らの身と他の人々、それに日本のキリスト教界を極めて深刻な危険に陥れる可能性がある。

(以下略)

第三十九章 各布教地に配置すべき会員の人数と、その資質について

(略)
 キリスト教徒の中にあるレジデンシアについてであるが、既述のように、日本は最も重要な地なので、なお一層十分に会員を補充しなければならない。日本のための働き手たちについては、その人数を確定することはできない。また、たとえ日本向けの会員を確保し、彼らを養うための手段を獲得したとしれも、日本が必要としているだけの働き手を日本に派遣することはできないであろう。しかし、先に述べたところにしたがって、日本にはできる限り大勢の会員を派遣しなければならない。たとえポルトガル人のレジデンシアその他、すべてのレジデンシアで会員の不足が生じても、日本は、既に述べた理由から、管区長が会員を補充すべき筆頭の布教地だからである。

(以下略)


(東洋文庫734『東インド巡察記』を底本としました。)